第55話    「久しぶりの竹竿作り T」   平成17年04月24日  

その昔釣具屋の店頭に並べられていた多くのニガタケで作られた庄内竿の中から、自分好みの竿一本を探すのは比較的簡単な作業であった。自分が竿を買う時は大抵値段の高い良竿、値段の安い普及竿と云うよりも、比較的価格の安い竿の中から自分の好みの調子の竿を探し、それを優先して買っていた。子供の頃の少ないお小遣いの中から買うのであるから、値段の高い良竿など買える筈もなかったからだ。自分の調子のみに合わせて買った竿であるから直ぐに曲り癖が付く。その為子供の頃から矯め木を買って来て、良く竿ノシを行ったものだ。その頃竿を矯める時に使う和蝋燭がなくて仕方なく西洋蝋燭を使い、竿を矯めては竿を焦がした記憶が幾度と無くある。

最近年をとってたまには自分で竿を作って見ようかと云う気になった。竹には皆それぞれ個性がある。12月今は少なくなって来たニガダケの竹薮を探し、その中から自分に合うであろう竹を数本採取して来た。しかしその採って来た竹を家に帰ってから、もう一度丁寧に眺めて見ると平節であったり、曲節であったり中々良い竹がない。「良い竹だなあ!」と思って竹を矯めて見ると変に曲がりの癖が付く。「確実に3年は経っている竹なのに・・・?」と思うのだが、良く見ると穂先側に身が入っていない。手元は明らかに肉厚なのに、穂先側が妙に薄いのだ。その為に穂先側が、矯めても矯めても直ぐにならず曲癖が出てくるのである。

仕方なく又竹を取りに行く。今年の冬はこんな事を数回繰り返した。間違いなく3年古の竹だと思っていたら、家に帰ってよく見ると2年古であった竹もあった。久しぶりの竹取だから、これもしようがない。これは良い竹だと思って丁寧に芽取りをするも、竹に傷を付けてしまった事も何回かある。毎年作っている杓作りは、素人の私には難しい作業であるが、多少の焦げは気にせずに作っているから気が楽だ。それに対して庄内竿の場合、竹に一点の傷を付けた、焦がす事は許されない。庄内竿の作り方は関東、関西と異なり竹肌に焦げ目を一切付けてはならぬ。竹肌をそのまま使っているからである。いくら素人と云えども矯め傷なども、もっての他で、一切まかりならぬと云う事になる。

庄内の竹竿作りで関東、関西の竿作りと異なる点は他にもある。それは和蝋燭を塗って火で暖めてから矯める事である。西洋蝋燭等は和蝋燭より大分沸点が低いから、火にかけると直ぐに沸騰して竹肌に焦げが出来てしまうからだ。竹に和蝋を塗って竹をグルグルと回しながら暖める。そして和蝋が程よく溶けてしばらくすると蝋が、沸々と煮えたぎってくる。その瞬間に、竹をコンロから放して一気に矯める。この瞬間が一瞬でも遅れると竹に焦げが出来てしまうのだ。この工程を数年間に渡り毎年数回繰り返し、煤棚に上げて燻しているうちに竹がかっちりと締まり、実用100年もの間耐えうる竿が出来るのだと思う。

文明が進歩した現在、囲炉裏で火を焚いたりする家は、何処にも見え無くなった。だから昔のように竿を天井裏に置いて、燻した竿等はまったくと云って良いほどに見つける事は出来ない。この燻すと云う作業は竿に虫が入らないようにとする事の他、竿の中に煤から出る油が沁みて出して竿が長持ちすると云う働きがあるのではないかとも考えられる。いずれにしても、煙で燻れた竿は漆をかけた様な濃い茶色を呈してくる。それが年々深みを帯びてきて、竿に貫禄すら生ずる。こうして見て良し、使って良しの庄内竿が誕生するのである。

そんな訳で竿作りの知識はあったが、実際やって見ると、実際の作業は非常に難しい。昔を思い出しながら小竿を23本作ることにした。何十年も前の事とて殆んど忘れてしまっている。遊び竿なのだからと簡単に考えて始めた事なのに、作る以上はある程度、実用性のある竿が欲しくなってしまった。延べ竿の約3mの小物竿とは云っても、作る工程は皆同じである。杓作りに使っている太い竹用矯め木だけでは間に合わず、新しく矯め木を細い竹用にと数本作った。中でも穂先用の矯め木が一番難しかった。最低矯める為の竹に合わせ角度の異なるものを二つ作る必要がある。曲がった節を興すための物と節と節の間を矯める為の二つである。二晩かけてそれを数本、竹の太さを考えながら何とか作り終えた。

現在二本はニガタケで作り、後の一本は矢竹で途中まで仕上がっているが、穂先をニガタケで継ごうと思っているが、良く見るとまだ乾燥が足りない。穂先を継ぐために切った断面の内側にまだかなりの青味が残っていた。もう少し天日で乾燥が必要の様だ。気の短い者にとっては、どうも竿作りは根気の要る仕事なの、甚だ難しいの一語に尽きる。

「果たして今年の春に、遅くとも秋には使えるだろうか?」
作って見て感じたこと。実際竹竿の魅力は使って見た人でなくては分からない。しかし買うには高すぎる。まして自分が作るのは難しすぎる。一度使えばその魅力に取り付かれてしまう。魚信を竿に感ずる感触が、明らかにカーボン竿とは異なる。が、竹の欠点もある。それは竹竿がカーボン竿に比べとても重いと云うことである。だから小竿にした。

「たかが竹竿、されど竹竿・・・」
最初のヤダケの竿の最終の仕上がりまでは行ってはいないが、身に沁みて竹竿作りの難しさを体験している。毎日が「トホホ!、トホホ!」である。